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ともあれロールのネタにしようと思いつつも
結局できなかったので今後もし似たような事があったときのために。
徐々に増えたりとか。
追記回数:1
ペストの蔓延した中世の対処療法は
外科的には腫脹切開、焼灼、瀉血
内科的には葡萄酒の飲み方などに注文をつけること程度。
腫脹に卵の黄身と油と塩を混ぜた膏薬も塗られたが効果は無い
病原体という概念はまったくなかったが、病人との接触、
あるいは汚染されたものとの接触が発病につながる事は
認識され始めていた。
流行病の対策は医療機関ではなく、警察などの機関を
通じて行われた。つまり流行病は「公安」事件として
取り扱われるべきものという習慣が確立していた。
警察や公安当局は汚染地からの船の入港制限(検疫)、
交通の遮断、病人の出た家を焼き払ったり財産を処分したり、
墓場を郊外の遠い場所に移したりというような施策をこうじた。
検疫は町の沖合いの島の一つに、人間と商品を40日間留め置いて
病気の出ない事を確認してから入港させた。
英語で「検疫」をあらわすquarantineはイタリア語の40(quaranta)を語源としている
ノミに刺されたり、感染動物の体液と傷口の接触から感染した場合は、腺ペスト
上記の消すと菌が肺で増殖し引き起こされるのが肺ペスト。
後者は人から人へ空気感染する。
つまり、動物から感染するのが腺ペスト、
人から感染するのが肺ペストである。
肺ペストの流行は寒冷な地方に多い。
同じペスト菌であっても気温が高いと腺ペストを発症し、
寒い時には肺ペストを発症する傾向がある。
疫病の後、それまで死を目の当たりにしていた人々は
生き永らえたことに喜びを感じた。
結婚ラッシュがおこり、ベビーブームがやってきた
生きたい、子孫を残したいという思いは
戦争が過ぎ去ったあとにしばしばみられる人間の心理である。